波佐見焼 輸出用醤油瓶 富士(Hasami-pottery/Soy source bottle for export/19-20c.)

¥16000

明治~大正期に海外輸出用に作られた醤油瓶です。いわゆる「コンプラ瓶」の一種ですが、
白磁ではなく総貫入にイラスト入りの珍しい品です。オランダ向けではなく東南アジアや清国向けの卓上瓶と思われます。
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在庫あり

説明

鎖国中の江戸時代、海外に醤油を輸出するために作られた波佐見焼の白磁瓶を「金富良(コンプラ)瓶」(comprador=仲買人、から)と呼びました。醤油の輸出は1650年代には行われていましたが、オランダ側から形状やデザインを指定して統一的な容器が用いられたのは18世紀に入ってからのようです。コンプラ瓶は大村藩の管理のもと、三股、永尾、中尾の窯で明治末期ごろまで作られ、シンプルかつ重量感のある形状や実用品としての美的価値、東インド会社の備品という希少性などから、江戸骨董のコレクターには定番品として人気があります。
 さて、有名な「白磁の徳利型の瓶に”JAPANSCHZOYA”と描かれたコンプラ瓶」の他に、主に東南アジアや清国に輸出されたものに「富士(分銅に富士)」商標の「日本醤油」という瓶があります。これは、より日本の酒徳利に近い形状の器に呉須で「商標 富士 日本 醤油」の文字があるのが特徴ですが、肝心のこの団体については詳細が分かりません。当時、醤油は醸造と販売が分けられていたようで、各地の醤油を輸出業者が自前の瓶に詰めて輸出したようです。「日本醤油」は社名ではなく「日本の醤油」という意味です。
 (ただし、1907年に「日本醤油醸造(株)」という会社が設立され、この社長が静岡県出身だったためこの瓶の出所はそこかと思われましたが、この会社は通常1年かかる醸造を2か月で行う特殊な製法を喧伝したものの、違法な添加物の使用が発覚し1910年に早くも廃業しており、輸出を行った形跡がなく、この瓶とは無関係でした。)
 そんな正体不明の「富士コンプラ瓶」ですが、総貫入の地肌、ヨーロッパの陶瓶のような風合い、富士山のイラストの染付など、見た目の楽しさはオランダ瓶に勝り、明治期の文明開化を匂わせる独特の明るさが見てとれないでしょうか。
 サイズ的には卓上瓶として使用されていたものと思われます。
内容量 約180cc(完全に満水にして210cc程度)

追加情報

重さ 204 g
大きさ 7.0 x 7.0 x 12.2 cm